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高校生が設立したボランティア団体(現在無期限休止中


by NPChildren

真剣な話をできる人に出会えたというのは幸せなことやんな



きっと


考えるのが好きな人と

僕と凄く仲のいい友達なら


最後まで読んでくれるはず!!


と信じて書きます…。



三日ぐらいに分けて読んで下さい…。





■五円玉の謎


実はお金にはそれぞれ違った役割分担があります。


普通に使うお金は

お札では、

一万円札、五千円札、二千円札、千円札、の四種類

小銭では

500玉、100玉、50玉、10円玉、5円玉、1円玉、の六種類です。

しかし、これらの貨幣はそれぞれの役割によって

いくつかのグループに分けることが出来ます。





(普通の生活をしている限り)

あたり前ですが、一万円札は銀行からしか

もらえません。

最高価格である一万円札。

僕らはおつりとしてもらうことはありません。

銀行からもらい

企業や人に払うのみです。

同じように、企業もおつりとして

一万円を払うことはありません。

だから、精算回収をするときに

一万円のみ回収するわけです。


      【一万円札流通の流れ】

    銀行 → 消費者 → 企業 →(給料として)銀行 → 消費者


したがって一万円札は『一方通行貨幣』と呼ぶことが出来ます。




5円玉は

一度の取引で(普通は)2枚以上交換されるコトは

ありません。(もちろん5×2枚で10円をつくることはありますが)

50円玉、500円玉も、5000円札も同じです。

つまり、1の数字を持たないお金は、基本的に一度の取引で

一枚しか交換されない性質を持つ紙幣なわけです。

したがって、5の数字を持つ紙幣は

他の紙幣に比べ発行枚数が少ないです。

5のつく貨幣は、『発行少数貨幣』と呼ぶことができます。



次に、(当然ですが)一円玉は、

一の位の数字を全てあらわすことが出来ます。

他の、1000円札や、100円札、10円玉のいわゆる『1が付く貨幣』は

それだけで全ての数字をあらわすことが出来ます。

けれど、その代わり一度の取引で

最大4枚まで使われる可能性があります。

したがって、発行枚数は5のつく貨幣に比べて

非常に多くなります。

1のつく貨幣は、『発行多数貨幣』と呼ぶことが出来ます。





そして、こう考えると、2000円札がいかに特殊な紙幣であるかが

分かります。


2000円は、1の数字を持たないにも関わらず、一度の取引で

2枚交換される可能性があるわけです。



(620円の商品を、5000円で買った場合、2000円×2+380円)

なんて特殊な紙幣!!

つまり、2000円はキレイな数字でもないにも関わらず、

5を持つ紙幣のように、発行枚数を少なくも出来ない。

『発行少数貨幣』のメリットもなく、

『発行多数貨幣』のメリットもないわけです。




さて今、ここで人間は

出来るだけ少ない枚数の貨幣で

取引を済ませようとする、と仮定します。

 (つまり、六千円を払うさい、千円札を六枚払うより、

  五千円札と千円札一枚で払おうとするということです)


これを『最小貨幣取引』と呼ぶことにします。

もし、人が最小貨幣取引を望むとしたら、

二千円札導入で非常に不都合なことがおきます。

それは、一回の取引で千円札が

最大で一枚しか取引されなくなる、ということです。



例えば、三千円を払う時、

従来だと、千円札を三枚払っていたところを

二千円札と千円札一枚で払うようになるということです。





逆に、二千円札は一度に、最大2枚取引されるようになり、

単純に考え、千円札の枚数の二倍、市場に必要とされるわけです。

 (千円札は最大で一枚しか取引されないのに、二千円札は二枚取引される可能性があるから)


そして、この条件を満たすには2つの方法があります。

第一は、『千円札の2倍分、二千円札を刷る』方法と

第二は、『千円札の枚数を減らし、二千円札が二倍あるようにする』です。




今ある千円札の2倍の量の、二千円札を刷ったとしたら

今まで千円札だけで間に合っていた市場に

さらに余分な紙幣が回り、千円札が枚数過剰となることは容易に想像できます。

一方で、千円札は、一万円のように『一方通行貨幣』『回収貨幣』でもありません。

バラバラになり、流通に流れのない千円札を回収することは

手間とお金がかかります。


したがって、二千円札を市場に浸透させることは

非常に難しいわけです。






まぁつまり、要約すると紙幣は以下のグループに分ける

ことが出来ます。


『1万円』→回収貨幣、一方通行貨幣
『5円50円500円5000円』→発行少数貨幣
『1000円、100円、10円、1円』→発行多数貨幣
『2000円』→…


実はそれぞれの紙幣が、

それぞれ別の役割を持っています。


まぁ・・・だからどうしてん…。




けれど、分析することは、生きていく上で

重要なことだとも思います…。




■分析



感覚的に「不必要だ」と思ったことでも

その背景とかを紐解いていくと

意外なことなことが見えたりします。



つまり

分析とは、「あたり前のことを、あたり前と思わないこと」だと思います。

いや、というか考えるということはそういうことだと…。

人は、それがあたり前であると思ってしまうと

色んなことに気付けません。

思い出が美化されていくのも、

後になって人の優しさに気付くのも

あたり前のことがあたり前でなかった。と

気付くからだと思います。


あるいは、イチローや松井など、一流の人はこぞって

自分のことをよく分析しています。

スポーツに限らず、B'zの稲葉さんはデビューする前、

色んなアーティーストの発声法をひたすら研究したそうです。


まず動くことは大事ですが、

考えてから動くことも大事だとは思います…。




■センス

イチロー…。

「それは、もう全部才能の問題やろ!笑」

といわれるかも知れません…。



音楽のセンス。

運動のセンス。

創造的センス。



この世の中には、色んなセンスがあると思います。

その中では僕が重要だと思うのは、

『加減のセンス』だと思います。

たとえどんなに良い塩であったとしても

かけ過ぎては、美味しい料理は出来ません。

過ぎたるは尚…。



まぁよう知らんけど、もしセンスを定義するとしたら

「今の状態が良いか、悪いかを見分ける力」だと思います。

そして、分析力は

「そこからなにが良いか、悪いかを考える力」だと思います。

ようは

センスなくして、分析なし。

かも知れん…、


ちなみに


向上心は「そこから自分を変えようと思うか」で

実行力は「実際に動けるか」かも知れん。



まぁ。無駄なことなんてないからね…。



■無駄なこと


人生に「ムダなことはあるのでしょうか」

僕はないと思っています。

ただ「効率の悪いことはある」とは思います。

例えば、大学の90分の授業を受けたとします。

最高におもんなかった…。けどたった1つだけ

面白い話があった。

ほんまに広い中の、たった一部分、

ただそれだけやけど、

その授業はムダではなくなります。

けれど、僕はそういう授業をムダな授業とたぶん、言います…。

それは、人間はムダの判断を、

「0か100か」ではなく

効率で決まてしまうからだと思います。


だから、例え

あなたがどんなに効率悪くても、

決してムダな存在なんかではありません。





人生に、ムダなことはない。

けれど、効率の悪いことはある。

そして、それを決めるのは分析力。

考える力を。



みたいな予備校のキャッチコピーとかええんちゃう…。





■勉強しないけど効率の良い人



彼は全く勉強しません。


テスト前にちょちょいとノートを見るだけです。

ですが、彼は軽く平均を取ってきます。

それに比べて僕は、前日から勉強しているのに

彼、いや平均点すら超えられない。

こう言うのはよくあると思います。


多分、なかなか勉強しない人は

暇な時間に、『どうすれば効率があがるか』ばかり

考えているからだと思います。

過去問を手に入れて…ここだけ押さえれば

『良』は取れる。


昔から僕らが悩んできた

「なんで勉強するんやろ…」の答えの1つは

考える力をつけるため。

なんちゃうかな。知らんけど。


僕も高校時代に、

「なんでこんな先生の下で勉強せなあかんねん…」

と思い反発しました。


その時に思ったことは…




■仁義礼智


年上には礼儀を尽くすべきです。



ですが、年上だからと言って人間として尊敬できるとは

全く思いません。



自分より遥かに立派な年下もいれば、

自分より遥かに愚かな年上もいます。


ですが、年上は立て、ある程度は従うべきだと思います。

なぜなら、「仁義礼智」という考えは素晴らしいものだからです。

年上だからといって尊敬にあたるとは限りません。

ただ、『仁義礼智の考え』が素晴らしいだけです。


だから、大人の人の

「お前らより先に生まれたから、偉いだろ」

という考えは大嫌いです。

でも、立てます。

まぁ大人は守るものがある状態で

走りつづけているわけですから

それだけで尊敬できるけどね…。




■守る物と失う物


ある人に聞かれました。

「守るものがある人と、失うものがない人は

どっちが強いと思うか」



僕は迷わず、『守るものがある人』と答えました。



失うものがない人は、強いのではなく

『恐い』のだと思います。



『恐怖』を『強さ』に勘違いしてしまうことは

よくあることです。

けれど、それは『偽りの強さ』です。



だからまぁ。大人は強いですよね。


じゃあ、大人向けに


■「脳を刺激する100の質問」



という本が出たら面白いなぁと思います。

中身は、日常の会話では決してされない、

100の質問が載っているだけです。


鋭く、自分に関する質問ばかりです。

1日、1ページずつ、1日かけて

考えます。



例えば、適当やけど

1.もし今のあなたの家族に加えて、もう一人弟がいたとしたら、

あなたの性格や、家族における立場はどのように変わっていたと思いますか。

(3つ離れ、わがままな気質、身長は自分より5センチほど高い、)


2.あなたの人生のターニングポイントはどこですか。また、もしその出来事が

なかったとしたら、今ごろ友達になってはいなかっただろう人はいますか。(性格的に)

また、そう思うのはなぜですか。


3.まずあなたの抱える悩みを全て、紙の上に書いてみて下さい。そしてその中で

最も重要だと思う悩みを消して下さい。

さらに、残った中で次に重要だと思う悩みを消してください。

続いて、この作業を悩みが1つになるまで続けてください。

最後に残った悩みは、なんですか。

それは今すぐ、あるいは明日中に解決できるものではありませんか。


4.あなたの大親友を思い浮かべてください。その人に、自分が与えたもの、

その人の中に自分を感じれるものを探してください。それはなんですか?


みたいな。これは適当やけど。




後、本つながりなら、


■『臆病な理想主義者』


っていうタイトルの本が出たら面白そう。

「臆病だから、現実を見て生きていく。夢を失った現代人」と

「現実を見ることに臆病だから、理想主義を装った。夢見るフリーター」

という同じ「臆病な理想主義者」2人が出会う

社会派のストーリー。みたいな。

というか

『臆病な理想主義者』というのは人間の本質を

あらわしている言葉だと思います。




『生きるってエネルギーがいるよな』

ですね。





■生きるタメ、生きるコトで


生きる為にできることは

それほど多くはありません。

パンを食べて、水を飲んで、

服を着て、ちゃんと寝ること。



ですが、生きることで

出来ることは沢山あります。


この二つをごちゃまぜにしていては

生きる意味はなかなか見つからないと

僕は思います。


生きるために出来ることは、そんなにはない。

でも、生きることで出来ることは、自分なんかにもあったりする。



生きていく上で、自分を嫌いな人は現れ、

時にはココロにグサっとささる

言葉を言われたりします。

そんな時は



■80.18.2


何かを判断するとき、色んな批評が飛び交います。


時に僕らは、

どれを拾うべきで

どれを捨てるべきか迷ってしまいます。

そんな時、僕はこう思います。

80.18.2 やな…と。

色んな非難や批評を食らって落ち込むことも

多々あるけど。

大体この世のほとんどは

80%は感想

18%は意見

たった2%が本質。

ホンモノの分析力のある人なんて

そうそうはいない気がします。

まぁ。

要は…

人の意見で、そんな落ち込まないでっ。ってことです。






ちなみに、これは意見ですが・・。



他人の意見に関わらず、

他人の行動にもイラっってくるときって

ありますよね。



■オレがやってるんだから…


日々生活していて、色んなところで

イラッとすることがあります。


その理由は様々です。



1つには、


人は『オレがやってるんだから、お前もやれよ』と

思ってしまうからだと思います。

自分が一生懸命作ったノートをコピーされるとなんとなく

ムカツク気持ち。

ずっと前から自分が並んでる。そこに、後から来た人が

友人に頼み、焼きそばを買う。

自分は一生懸命掃除しているのに、アイツは

さぼってばっかり。

ムカツク気持ち。

この多くは、『オレがちゃんとやってるんだから、お前もやれよ』という

考えから来ると思います。

けれど、冷静になって考えてみると、

自分がやっているから、相手もやるべきなんでしょうか。

当然、やるべきこともあります。

でも、冷静に考えて、そうでないことも実は多いと思います。

そんな時は『ここはもう、生き方の問題だな』と

つぶやくことにしています。



生き方の問題といえば、

思うのは



■人は死にたいのだろうか


人は死にたいのではない

と思います。

ただ、消えたくなるだけだと思います。

しばしば人は、消えるという行動を『死ぬ』という行動でしか

果たせないものだ思い込みます。

そして、『死にたい』と思ってしまうのだと思います。


死ぬという手段と

消えたいという目的。




混ぜちゃ危険なモノ!

塩素とか。




まぁ。


将来に対して不安があるのは

誰でも少なからずありますよね…。



■将来について


単にギターを弾くと言っても、

3つのやり方があると思います。

1つは、音楽をする

2つは、サークル活動をする

3つは、表現をする。

これは、他にも色んなことに当てはまるのではないか、

と思います。

例えば、仕事にしてみると、

1つは、書類を打つ

2つは、社会的活動を行う

3つは、仕事を通してなにかを行う


どれが正しいか、などはないと思います。

けれど、自分が本当に何がしたいのか、を

問うて見るとき、これは重要なのかも知れない、とも思います。



まぁ「なにがしたいのか」と

「なにに才能があるのか」は別もんですよね。


好きこそ上手なれ

ってそんな都合よくいけば良いのに…。




■スターウォーズ


人には、それぞれ能力があります。

運動が得意な人もいれば、

絵が得意な人もいる。

紛れもなく、才能というのは存在すると思います。

けれど、才能の多寡よりももっと重要なものが

ある気がします。

それは、その力の使い方だと思います。


ある友達に、あることを質問された時、

僕はこう答えました。

『どこに目標を置くかで

人生は変わってくるよなぁ』と。




■水差し


入れ物に、水がたっぷり入っています。

その水を、花にそそぐ人もいれば、

自ら飲む人もいます。

あるいは、ただ蒸発するのを待っている人もいるし、

誰かの小さなコップに入れ替える人もいます。

目的や方法は、人それぞれです。

決められたのは水の量とイレモノの形だけ。

人生とはそういうものではないか、と思います。




■年をとる



年をとるにつれて、涙腺が弱くなると言います。

僕もかなり弱くなってきました。

若い頃までは、物事を純粋に

出来事で捉えていました。

ある物語を読んだ時、

主人公の死に、涙が流れました。

今、同じ物語を読んだ時、

涙が流れました。

自分の経験や人生と重ね合わせて、

涙が出ました。


あるドラマでこんなシーンがありました。

親に全く期待されず、

愛情を注がれなかった男の子がいました。

ある日、父親は彼のことを疑い、

施設に入ることを勧めました。

その彼は、カッとなり、父親を

バットで殴り殺してしまいました。

後に、彼はつかまり刑務所に入りました。

僕は、涙が出ました。



それは、自分の経験や、自分の友達の家族、

自分の家族の事を重ねあわしたからです。

年をとると涙腺が弱くなるのは、

きっと自分の経験を通して

物語を見てしまうからです。




今まで自分を主人公に重ねて読んでいた本が

主人公を自分の経験に重ねて感動したとき、

その物語を理解する歳になった。


そんな気がします。





■人生は螺旋階段


とさんまが言ってました。

僕もそう思います。

すごく走った。

がむしゃらに前だけ見て走った。

そうやって進んだ気でいたけど、

全く成長していない自分と、

あの日と少ししか変わっていない風景。

でも、実は、それは360度進んだ

1つ上の階だった。

進んでは原点に戻る。

進んでは原点に戻る。

進んでいないと思っていた自分が

実は少しずつ大人になっており、

天国に近付いていく。


一周が大きな大きな螺旋階段。

それが人生。


っていうことちゃうかな。








疲れた…







■細木数子と太田光


今は知りませんが、

彼らは同じ時間帯に

番組を持っていました。

これはきっと、

わざとだと思います。

彼らは共に鋭い分析力と人を見る力、

自分の考えを言葉にする力を持っています。

しかし、対話をする前提として

二人には大きな違いがあります。

細木さんは、独裁者であることを望んでいる部分があり

太田さんは、議論を楽しむことを前提としています。

これだけ聞くと、

後者の方が優れている気がします。

ですが、より多くの人を救ってきたのは

間違いなく細木数子の方です。


方法は多少間違っていたとしても、

“真理”に辿り着こうとする人間の姿に

人は憧れるものです。


ジャックバウアーとかも

そうやろうね。







■さいご 感想


今期、僕は月曜と水曜と木曜しか

授業を取っていないんですが

月曜と水曜で、一緒に帰る友達が違います。

両日とも、3人ずつで帰ります。

でも、話す話の内容は

月曜と水曜で全く違います。


月曜日は、恋愛の話しかまじでしません。

逆に水曜日は、生きる系とか哲学的な難しい話しかまじでしません。




どっちもどっちで楽しいです。

でも、僕は、せっかく知り合ったのなら

少しぐらい真面目な話をしたいと思う派です。





そしてやっぱり、

そういう話を出来る友達と出会えたことは、凄く幸せなことだ、

と感じます。


高校の終わり頃、僕は毎日のように

友達と語り合ってました。

恋愛の話も、人間の話も、将来の話も。


友達や場所は変わっても、

その語り合いは続いています。

僕の話を聞いてくれる人がいて、

相手の話を聞く僕がいる。



その日語り合った言葉は

今日の智となり、

明日も体に残りつづけます。


せっかく出会ったのなら

そういう付き合いがしたい。

僕はそう思います。


後二年しかないよ!
by npchildren | 2007-11-16 18:21 | 独り事